静岡家族問題研究会2007年9月例会
静岡家族問題研究会の9月例会を下記のように行いました。
テーマ:「保護観察における家族問題」
報告者:Ⅰ 大倉観察官 (静岡保護観察所)
Ⅱ 古橋観察官 ( 〃 )
統括 橋本観察所長( 〃 )
日 時:2007年9月28日(金曜日)
19:00-21:00
会 場:静岡市産学交流センター小会議室1
◇
Ⅰ「運用上における家族との接点と対応」と題し、更生保護(保護観察や環境調整)における対象者の家族の方に対する働き掛けについて紹介した(詳細は配付資料参照)。
対象者を少年と仮定する。保護観察が始まり、家族と我々の初顔合わせ,家族はどのような思いで保護観察所を訪れるのか。
非行を繰り返す我が子に憔悴しきっている母親、子の一大事であるから大事な会議を欠席した父親、司法機関への不満を訴える親、少年院に入れてくださいと泣きじやくる母親。その表情や思いは千差万別。
家族への対応としての基本は、家族を理解すること。当たり前のようで難しい。特に、初回面接時においては、これまでの苦労を労う(ましてや、その内容如何にかかわらず、これまでの養育を否定し、親を“指導”することは、本人の更生への道を逆行させることになりかねない)。本人の改善更生には、これからも家族の温かい支えが必要なことは言うまでもない。まずは親の辛い心情を汲み取り、彼ら(彼女ら)との信頼関係を築くことが重要である。
しかし同時に、家庭に対し何らかの不満を抱いている対象少年も少なくなく、その心情にも耳を傾けたい。ここで処遇者は親と少年との“板挟み”を感じ、混乱するのではなく、むしろ両者の妥協点、落としどころを探せる“チャンス”にしなければならないという意識を持ちたい。
10、20年と人生を共に歩んできた一つの家庭に入り込んでいくことはとても勇気のいることである。しかし、第三者であるからこそ見えてくることがある。
−家族間題の答えは家族の中にしかない−
だから、やりがいもあり苦労も感じるのである。
Ⅱ 保護観察処遇を行う者ならではの「家族問題」を紹介しようと試みた。それはすなわち、保護観察において、目の前で対象者が成長し、家族関係が変化していく様を観ることができる喜びの紹介でもある。
私は、「問題のない家族」というものは、この世に存在しないのではないかと密かに考えている。「問題がなさすぎて困る」のなら幸せでよいのだが、「うちに問題なんてありえない」と言いながら実は、家族全員が問題に気付いていないだけであれば、逆に危ないと思う。
もちろん我が家族も例に漏れず、自分自身の甘えや悪行を筆頭に、問題だらけで困る。
ただ、一口に「家族の問題」といっても、「些細な問題」と、「どうにも見過ごすことができない問題」があると思う。
保護観察で関わる家族は、一見、非行や犯罪をする本人のみが「悪の化身」のように見えるが、よく観察していくと、本人の犯罪や非行が、家族全体の「見過ごすことのできない問題のサイン」であることも多い。その凄まじさたるや、身近な人間関係や、地域の生活環境の自然な作用では、修復不可能な時もある。
私としては、心配な家族を3つのタイプに分類している。
① 「保護者」不在の家族
② 家族関係が崩壊している家族
③ 「家庭内での暴力」が慢性化している家族
である。今回の発表においては,①〜③のタイプを説明した後、参加者をぎつのグループに分け、集団討議を行った。どれも困難な問題を抱えている家族の例を挙げた。各グループの話し合いは、私の想像を遥かに超えて白熱し、私はただ、見守ることに終始した。発言やグループへの参加姿勢に、参加者それぞれの特性が見られ、聴いているこちらも「なるほど」とうなり、参考にさせていただきたい情報も多々得ることができた。皆様に感謝したい。
統 括
監護能力に問題の認められる保護者ほど、保護親祭所の働き掛けに拒否的態度を示す場合が多く、また、保護者は保護親察を受けていないところから、保護者に対する指導についてはあくまでも「助言」の域を出ず、困難が伴うことが多いが、我が国の保護観察制度の良い点は、年長者で、地域社会で力のある保護司と比較的若い保護親察官との協働体制で行われるところから、親に対する指導は主として保護司に、少年に対する指導は保護観察官が行うなど、適宜役割分担をして処遇を実施している。
なお、今般、少年法の一部改正により、保護観察所にも保護者に対する指導が法的にできることになったが、現実場面では、いかに実効ある措置にしていくか、難しい課題である。
参加者
小川裕子、橋本昇、小林麻里、橋上紗央里、龍田大、原川由美子、功刀尚子、長尾璃奈、大西望未、滝口陽子、渡辺浩子、永井鉄朗、石光和雅、大倉雄平、古橋拓也
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